流産は有名人であっても他人事に感じてしまう

芸能人の流産に関して思うことは、可哀想だな、ということだ。自分には直接関係のないことなので、それに対してショックを受けたり、悲しくなることはないが、同情はする。有名人だからこそ、子どもを授かり、生まれる。その過程を、その事実を多くの人が知っている中で流産してしまう。それは当の本人にとっては相当にショックだろう。更にそれを世間に知られることは肉体的にも精神的にも堪えることだろうと推測できる。仮にそうだとしても、やはり自分にとっては他人事の領域を出ない。人の心がないのか、と思われてしまうかもしれないが、可哀想だな、という同情の域を出ない。だから、ワイドショーなどでその事実を知ったとして、その時に同情などの感情を抱いたとしても、数日もすればその事実も数多の情報の中に埋もれていく。そして次第に忘れていってしまう。その程度の認識だから、SNSなどでその事実に悲しいや、当人を心配している旨のコメントをしている人を見ると「本当に思っているのか、偽善ではないのか」と感じてしまう。流産の事実から始まり、他者の感想までの一連の流れを、どこか冷めた目で見てしまっている自分がいる。